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福岡地方裁判所 昭和40年(ワ)592号 判決

原告

浦精

ほか三名

被告

北九州市

主文

(一)  被告は、原告浦精に対して金五万円、原告浦令子、同浦正一、同浦信彦に対して各金二三万三、三三三円及びそれぞれ右各金員に対する昭和三八年一一月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  原告らのその余の請求を棄却する。

(三)  訴訟費用はこれを三分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

(四)  この判決は原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。ただし、被告において、原告浦精に対して金二万円、原告浦令子、同浦正一、同浦信彦に対して各金八万円の担保を供するときは、その原告に対して、右仮執行を免れることができる。

事実

(当事者の申立)

原告らは「被告は、原告浦精に対して金一〇五万円、原告浦令子、同浦正一、同信彦に対して各金一四三万円及びそれぞれ右金員に対する昭和三八年一一月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告は「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決並びに仮執行免脱の宣言を求めた。

(原告らの請求原因)

一、原告浦精(以下原告精という。)は亡浦正信(以下正信という。)の妻であり、原告浦令子(以下原告令子という。)、同浦正一(以下原告正一という。)、同信彦(以下原告信彦という。)は正信の実子であつて、原告らは正信の共同相続人である。

二、被告は、大型乗合自動車(福二あ〇〇六八号、以下本件バスという。)を保有して自己のためこれを運行の用に供する者であり、有田邦夫(以下有田という。)は、被告に雇われて自動車の運転に従事している者である。

三、有田は、昭和三八年一一月二九日午前一〇時過ぎごろ、本件バスを運転し、福岡市中島橋交差点方面から同市橋口町交差点方面に向つて西進中、同市天神四丁目日本銀行福岡支店前の通称五〇メートル道路において、同方向に向つて進行中の正信運転の第二種原動機付自転車(以下本件バイクという。)に本件バスを接触させ、そのため転倒した正信を本件バスの後部車輪でひき、よつて同人を頭蓋骨々折等によりその場で即死させた。

四、本件事故によつて生じた亡正信及び原告らの損害は次のとおりである。

(一)  正信の財産上の損害(得べかりし利益)

正信は、大正一一年三月一日生れで、本件事故当時満四一才の健康な男子であつた。正信は昭和三八年一一月一日から大日鉄工株式会社に二ケ月間は試用期間とし、試用期間終了後は正式採用され、試用期間は一ケ月金三万円、正式採用の昭和三九年一月からは初任給月額三万五、〇〇〇円の支給を受ける約束で雇傭されて同会社に勤務していた。従つて、昭和三九年一月一日からは少くとも一年間三七万五、〇〇〇円(右初任給月額三万五、〇〇〇円から正信の生活費月額一万円を控除した残金二万五、〇〇〇円の賞与三ケ月分を含めた一五ケ月分)の純利益をあげ得た筈である。そして、厚生省作成の第一〇回生命表によれば、満四一才の男子の平均余命は二九・九七年であるから、正信は満七〇才まで生存し、今後二〇年間右会社の従業員として稼働可能であつて、同人が死亡しなかつたならば、なお二〇年間就労し、その間前記純利益を得た筈である。この二〇年間の利益からホフマン式計算法により民法所定年五分の中間利息を控除すると、別表のとおり金五一〇万円(ただし、金一万二八円は切り捨て)となる。

(二)  原告らの相続

原告らは、正信の共同相続人として、前記(一)の得べかりし利益の損害賠償請求権のうち、原告精は三分の一の金一七〇万円を、原告令子、同正一、同信彦はそれぞれ九分の二の各金一一三万円(ただし、金一万円未満は切り捨て)を、それぞれ相続した。

(三)  原告らの慰藉料

原告らは、夫であり父親である正信を一家の支柱として平和な家庭生活を送つていた。しかるに、本件事故により突然正信が死亡したため、一家の生計の途を断たれた。現在では原告正一を寺院に預け、原告精が保育園の保母として月収一万円余を得て辛うじて原告令子、同信彦を養育している状況にあり、本件事故により原告らの蒙つた精神的苦痛は筆舌につくし難い。

以上の諸点に鑑み、慰藉料は、原告精について金五〇万円原告令子、同正一、同信彦について各金三〇万円が相当である。

五、ところで、原告精は、正信の死亡により、労働者災害補償保険法による遺族補償費金一〇〇万円の給付を受け、又被告から金一五万円の見舞金を受領したので、これを原告精の前記相続による損害賠償請求権金一七〇万円と慰藉料五〇万円合計二二〇万円の内金に充当する。従つて、原告精の損害賠償請求権は金一〇五万円となる。

六、よつて、原告らは、自動車損害賠償保障法第三条本文により被告に対して、次の各金員の支払を求める。

(1)  原告精

前項の金一〇五万円

(2)  原告令子、同正一、同信彦

前記第四項(二)の相続による各金一一三万円と同項(三)の慰藉料各金三〇万円

(3)  原告ら

右各金員に対する本件事故発生の日である昭和三八年一一月二九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金

(被告の答弁)

請求原因第一項の事実は争う。同第二項の事実は認める。同第三項のうち原告ら主張の日時場所において有田が本件バスを運転し原告ら主張の方向に向け通過したことは認めるが、その余の事実は争う。同第四、五項の各事実は争う。

(被告の抗弁)

一、仮に、有田運転の本件バスと正信運転の本件バイクが接触しそのため正信が死亡したとしても、本件事故については、次に述べるとおり、自動車損害賠償保障法第三条但書の要件が備つているから、被告には、損害賠償の責任がない。

(一)  被告及び運転者有田は、ともに本件バスの運行に関し注意を怠つていない。

すなわち、被告は、その経営のバスの運行に関し、毎日午前六時四五分から同七時一〇分までの二五分間各担当の運転手にその運転するバスの車体、エンジン、制動装置、照明装置、タイヤ、スプリングその他細部の装置に至るまで点検させて異状の有無を確認させ、異状がないことを確めたときは監督者に点検表と題する書面を提出させ、次いで異状のないことを確認した監督者から運転手に無事故で運転するよう注意させて午前七時一五分営業所を出発させることにしていた。本件事故当日である昭和三八年一一月二九日運転手有田は、午前五時三〇分起床して朝食をすませ、午前六時三〇分北九州市若松区藤の木北九州市営バス藤の木営業所に出勤し、当日運転担当の本件バスを点検し右順序を経て福岡市に向け出発した。特に当時は事故絶滅月間中であつたので被告の交通局担当係員は勿論運転手有田も事故防止に細心の注意を払つていた。

本件事故現場附近の道路は通称五〇メートル道路で幅員が広く道路中央線から南側歩道までを三等分し中央線寄りの部分を一車線、歩道寄りの部分を三車線、中間部分を二車線とし、交通法規上は普通乗用車は一車線を、バス、トラツクは二車線を、軽自動車、バイクは三車線をそれぞれ走り、当時の法定制限速度は時速四〇キロメートルと定められていた。有田は、事故当日、本件バスを運転して午前一〇時一七分ごろ本件事故現場附近を時速三〇キロメートルで南側二車線内の幾分一車線寄りを真すぐ直線に進行し前方を注視していた。一般に曲る場合や追越等特別の際は備付けのバツクミラー(後写鏡)を見るが、直進する普通のときは前方を注視するのが運転手の措るべき万全の措置である。

有田は、事故現場において異様な音を感知したので直ちにバツクミラーを見たところ、バイクが本件バスの左側後に倒れているのを発見したので直ちに停車の措置をとつたものでその運行に関し注意を怠つていない。

(二)  本件事故は、被害者正信の過失によつて発生した。

すなわち、本件バイクは正信の勤務先である大日鋼材株式会社経理主任川崎淳市の所有であつて右ハンドルについていた前輪ブレーキは故障していた。正信は、事故当日初めて本件バイクを運転したので馴れていなかつたため、右川崎から手をとつてエンジンのかけ方を教わり出発しようとしたところ、二度程エンジンが止つたのでさらに同人からもう少しエンジンをふかすように教わつて交通量の多い道路に出かけたもので、見ている人をして危いと思わせる運転をして出発した。ところで、車両の運転者は側方を進行する車両等に接触しないよう万全の注意をなすべき義務があるのに、正信はこれを怠り、本件事故現場附近でハンドルをふらつかせながら本件バスの先端から二メートル七五センチ後方左側面に倒れ込んだものであるから、正信の過失は明らかである。

(三)  本件バスには構造上の欠陥もなければ機能上の障害もなかつた。

すなわち、このことは前記(一)のとおり有田及び監督者が本件バスを点検し、異状のないことを確めたうえ運行の用に供したことに徴し明らかである。

二、仮に、右主張が理由なしとするも、本件事故発生については、被害者の正信にも前項(二)記載の過失があるから、損害賠償額の算定について過失相殺されるべきである。

(抗弁に対する原告の答弁)

被告の抗弁第一、二項の各事実はすべて否認する。

(証拠関係)〔略〕

理由

一、〔証拠略〕を綜合すると、請求原因第一項の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。そして、被告が本件バスを保有して自己のためにこれを運行の用に供している者であり、有田が被告に雇われて自動車の運転に従事している者であること、有田が昭和三八年一一月二九日午前一〇時過ぎごろ、本件バスを運転し福岡市中島橋交差点方面から同市橋口町交差点方面に向つて西進中、同市天神四丁目日本銀行福岡支店前の通称五〇メートル道路を通過したことの各事実はいずれも当事者間に争いがなく、〔証拠略〕を綜合すると、被告は北九州市と福岡市天神町との間に定期バス路線を有していること、有田は、昭和三八年一一月二九日右路線に本件バスを運転し、福岡市天神七八番地附近(前記日本銀行福岡支店前附近)の通称五〇メートル道路の左側を同市中島橋交差点方面から同市橋口町交差点方面に向つて時速約三〇キロメートルで直進中、同所附近において同日午前一〇時一七分ごろ、同方向に向つて進行していた正信運転の本件バイクの後部荷台の補助荷台と本件バスの左側前部から約二メートル七五センチ後方の個所とが接触し、正信が本件バイクもろとも転倒し、同人はその頭部を本件バスの左後車輪でひかれ、頭蓋骨開放粉砕骨折、右肋骨々折によりその場で即死したことが認められる。〔証拠略〕中右認定に反する部分は前記証拠に照らして採用できないし、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

以上の事実によれば、正信の死亡は被告保有の本件バスの運行によつて発生したものであることが明らかであるから、被告は、自動車損害賠償保障法第三条但書の免責要件のすべてを立証しないかぎり、本件事故による正信の死亡のために生じた損害について賠償責任を免れない。

二、そこで、被告の免責の抗弁について判断する。〔証拠略〕を綜合すると、

(一)  本件事故現場附近の道路は、通称五〇メートル道路と呼ばれ、歩車道の区別のある幅員約四八メートル七五センチの道路で、車道は高速、緩速の区別があり、高速車道の幅員は約一八メートル五五センチで全面コンクリート舗装、その南側は幅員約八メートル三〇センチの非舗装緩速車道、その南側は幅員約四メートル七〇センチの歩道、高速車道の北側は幅員約二メートル五〇センチのグリーンベルト、その北側は幅員約五メートル七〇センチの非舗装緩速車道、さらにその北側は幅員約七メートル五〇センチの非舗装の歩道等となつており、高速車道の中央線から南側歩道までを三等分し、中央線に近い一車線を普通乗用車、歩道に近い三車線を軽自動車原動機付自転車、中間の二車線をバス、トラツクが通行するよう事実上区分された見通しの良好な道路で、福岡市内の有数の幹線道路で自動車、原動機付自転車等の交通量が極めて多く、公安委員会の告示及び道路標識により自動車の最高速度は時速四〇キロメートルに制限されていた。

(二)  有田は、本件バスを運転し、本件事故現場に向う途中、事故現場の東方約一三〇メートルにある中島橋交差点で交通信号機による停止信号のため停車したが、その際本件バスが先頭に停止しその左右にはタクシーなどが停車していた(その数は証拠上明確にできない。)。

(三)  有田は、信号が青に変つたので発車したが、発進後左右に停車していたタクシーなどが次々に本件バスの両側を追い抜き又は追い越して行つた。しかし、本件バスは二車線を進行し、事故現場に至るまで前方を進行する他の車両を追い抜き又は追い越して進行するようなことはなかつた。

(四)  中島橋交差点から事故現場に至る間の道路は、わずかに右(北)にカーブしているが、現場の手前数一〇メートルの間は殆んど直線であつて、有田は右直線の間全くハンドルの操作をしないで二車線を直進し、時速約三〇キロメートルで事故現場に差しかかつたとき、後方から正信運転の本件バイクが本件バスの左側方に近づき並進状態で本件バスの左側前車輪附近に達した。(もつとも、本件バイクが本件バスの後方からその左側方に追いついたことについては、これを認める直接の証拠はないが、事故直前本件バスの後方を進行していた西鉄バスの運転手である証人花田利行の証言による交通状況、本件バスは中島橋交差点を発進してから他の車両の追い抜き又は追い越しをせず直進していたこと等から考えてこのように認定せざるを得ない。)この時、正信のハンドルが左右にふらついた瞬間(そのふらついた原因が何によるかは証拠上明らかでない。)本件バスの前記個所に接触し、あつという間に本件バイクもろともその場に転倒し、本件事故が発生した。

(五)  有田は、二車線を直進していたので、もつぱら前方を注視し左右及び後方に対する注意を払つていなかつたため、本件バイクとの接触音をきくのと殆んど同時に左後部車輪にシヨツクを感じあわててバツクミラーにより左後方にバイクの倒れているのを確認するまで本件バイクの動向に全く気付いていなかつた。また、バスの車掌は運転手の補助者としてバスの左側面及び左後方の安全を確認する補助的な職務を負つているが、事故直前本件バスの車掌平田絹子は終点の直前であつたので切符回収のため客席を廻つていたので本件バイクに気付かず、定位置に戻つた途端本件事故が発生した。

(六)  正信は、大型免許を取得しており、当日勤務先(福岡市吉塚八丁目三七〇番地)の経理主任川崎淳市から前輪ブレーキの故障した本件バイクを借り受け、同市長浜二丁目所在の労働基準監督署に向つて出発しようとして、右川崎からエンジンのかけ方を教わり出発したが、本件事故現場附近で三車線を通行できないような特別の道路の状況はなかつたのに二車線を進行する本件バスの左側方約五〇センチから一メートルに接近して追いつき並進状態となり、前記認定のようにハンドルがふらついた瞬間本件バスと接触し本件事故が発生した。

(七)  本件事故発生直前本件バイク以外には本件バスの左右に車両は運行していなかつた。

以上の事実が認められ、〔証拠略〕は前記証拠に比較して信用できない。なお、〔証拠略〕中には本件事故は本件バスが本件バイクを追い越そうとして時速約四三キロメートルで進行中あやまつて本件バイクの後部荷台の補助荷台に追突して発生したものであるとの部分があるが、右部分は前記の事実に照らして採用できないし、他に前記認定を左右するに足る証拠はない。

ところで、自動車の運転者は、絶えず前方及び左右を注視すべきであることは勿論、交通量の極めて多い道路においてはバツクミラーにより後方から進行して来る車両等にも注意を払い自己の自動車の側方に接近して追い抜き又は追い越そうとする車両等があるときはこれを早期に発見してこれとの接触などによる事故の発生を避けるため、右又は左にハンドルを切り或は徐行するなどの適切な措置をとり事故の発生を未然に防止すべき注意義務がある。しかるに、前記事実によれば、有田は、交通量の極めて多い本件事故現場附近を進行するについて、二車線を直進していたためもつぱら前方を注視し、左右及び後方に対する注意を払つていなかつたことにより、事故発生に至るまで全く本件バイクに気付いていなかつたことが明らかである。そして、前記認定の事故時における双方の車両の位置、交通状況、速度などから考えて、もし有田が後方に対する注意を払つておれば後方から左側方に接近して進行して来る本件バイクを早期に発見できた可能性が充分にあり、発見に対し右にハンドルを切つて間隔を開くなり徐行するなりなどの適切な措置をとつていたとすれば本件事故の発生は或はこれを回避し得たかも知れず、少なくともその一半の可能性があつたことを否定することはできない。ところで、自動車の保有者は運転者の注意義務違反の行為が事故の発生と因果関係がないことを立証しないかぎり、運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたことの証明があつたものとすることはできないと解するのが相当である。前記事実によれば、本件事故は正信が直進している本件バスの側方僅か五〇センチから一メートルに接近して追いつき並進状態になつたことが本件事故発生の最大の原因をなしていることは否定できないけれども、有田がバツクミラーにより後方に対して注意を払つておれば、本件事故の発生を回避し得た一半の可能性があつたと認められる以上、運転者である有田の右注意義務違反と本件事故の発生との間に因果関係がないとすることはできない。従つて、本件については、運転者有田が本件バスの運行に関し注意を怠らなかつたとの証明がないから、被告の右抗弁はその余の事実について判断するまでもなく理由がないから採用できない。

〔なお、前記乙第一五号証(椎木緑司の鑑定書)中には本件については、本件バスは「事故当時の時速は三〇粁程度で、さして高速ではなく、かつ左右両側から四輪車が追越したので、そのままの状態を維持して直進することが最も適当であり、このような場合は格別前方を注視し続けないと衝突の危険性があつて、特別の事情のない限り、約八〇度も首を向けて、バツクミラーを見ることによる左後方への注意義務はないといつてよい。」旨の記載があるが、当裁判所は本件事故現場附近のような交通量が極めて多く追い抜き又は追い越しの盛んな道路において自動車を運転する者はバツクミラーによつて後方及び側方の安全に注意を払つて運行する注意義務があると認めるので、右鑑定書の見解は採用できない。〕

そうすれば、被告は、自動車損害賠償保障法第三条本文により、正信の死亡による損害を賠償する義務がある。

三、正信の財産上の損害

〔証拠略〕を綜合すると、正信は、大正一一年三月一日生れで本件事故当時満四一年八月の健康な男子で、昭和一八年九月花園大学卒業後兵役に服し、終戦後は三菱炭鉱などに勤務し、次いで昭和三八年一一月四日、大日鋼材株式会社に職員として採用され、当初の一、二ケ月の試用期間中は一ケ月金三万円、試用期間を経て本採用後は一ケ月金三万五、〇〇〇円の支給を受ける約束となつていたこと、同会社の一般職員の定年は満五五才であるが、定年後も嘱託などとして引続き一〇年位は勤務することができ、かつ、月給も定年により減額されるというようなことはなかつたこと、定期昇給は年二回実施され賞与も年二回月給の三ケ月分が支給されることになつていることの各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、正信は本件事故当時月額金三万円、年額金三六万円の収入と年間月給の三ケ月分に相当する賞与金九万円の収入合計金四五万円の収入を得ていたことが認められる。(原告らは昭和三九年一月からの正信の収入は月額三万五、〇〇〇円であつた旨主張し、前記の認定事実によれば、試用期間を経て本採用後は一ケ月金三万五、〇〇〇円の約束がなされていたことは認められるが、正信は事故当時まだ試用期間中であり、しかもそれが一ケ月に満たないものであつたことから、果して昭和三九年一月から一ケ月金三万五、〇〇〇円の支給を受けられたかどうかについて疑問なしとしないので、死亡時の右収入によることにする。)

ところで、厚生大臣官房統計調査部作成の第一〇回生命表によれば、満四二才〔正信の死亡時の年令は満四一年八月(殆んど九月に近い)であるから、これを満四二才とみる〕の男子の平均余命は二九・一〇年であるから、正信が本件事故によつて死亡しなければ、なお右年数の間生存し得たものと推認され、かつ、同人の職業から考えれば、五五才で定年退職しても引続き満六二才に達するまでの二〇年間前記会社に勤務するか又は同種の業務につくことが可能と考えられ、その間の昇給を考慮に入れなくとも、前記金額を下廻ることのない収入を得ることができたものと推認することができる。そして、正信の生活費が一ケ月金一万円、年額金一二万円であることは原告らの自認するところであるから、これを前記収入から控除すると、正信の死亡時の純益は少なくとも年額金三三万円であつたというべきである。

従つて、正信の死亡によつて喪失した二〇年間の利益の現在価値をホフマン式計算法により、一年ごとに純益金三三万円が生ずるものとして算出すると、金四四九万三、二八〇円となる。

〈省略〉

四、過失相殺

原動機付自転車の運転者は、三車線を通行できないような特別の事情のないかぎり歩道寄りの三車線を通行し、又他の車両を追い抜き又は追い越すなどのため他の車両に追いついて一時的にしろこれと並進するときはその車両と接触することのないよう十分の間隔をおいて進行し、もつて他の車両との接触などによる事故の発生を未然に防止すべき注意義務がある。しかるに、前記第二項認定の事実によれば、正信は、本件バイクを運転し、本件事故現場附近を進行するに際し、三車線を通行できないような特別の事情がないのにあえて二車線を進行し、しかも、本件バスにその後方から追いついた際、その左側方約五〇センチから一メートルに接近して進行したことが明らかでありそのためハンドルがふらついた瞬間本件バスと接触し、本件事故が発生したのであるから、被害者正信に重大な注意義務違反があることが明らかである。

このように、本件事故発生については、被害者である正信にも重大な過失があるから、この点を斟酌し、正信の前記財産上の損害額のうち被告に負担させるべき範囲は、金六〇万円をもつて相当と認める。

五、原告らの相続

原告らが正信の共同相続人であることは前記認定のとおりであるから、妻である原告精は前項の金額の三分の一にあたる金二〇万円、子である原告令子、同正一、同信彦は前項の金額の九分の二にあたる各金一三万三、三三三円(ただし、円未満切り捨て)宛それぞれ正信の損害賠償請求権を相続により取得したことになる。

六、原告らに対する慰藉料

〔証拠略〕を綜合すると、原告精は昭和二三年に正信と結婚し、長女の原告令子、長男の原告正一、次男の原告信彦をもうけ、本件事故当時原告精は三九才、原告令子は一四才、原告正一は一一才、原告信彦は九才であつたこと、原告ら一家は正信の前記収入と原告精の保育園の保母としての一万円余の収入によつて生活し、正信は原告らの精神的経済的支柱であつたこと及び正信の死亡後は原告信彦を寺院に預け(これは原告ら一家の生計費の軽減と正信の菩提を弔わしめるためである。)、原告精の保母としての収入月額一万四、〇〇〇円余、家賃収入月額八、〇〇〇円、原告令子の奨学金月額一、五〇〇円によつて生活を続けていることの各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。原告らが夫であり父である正信の事故死によつて甚大な精神的苦痛を蒙つたであろうことは察するに余りある。これに前記認定の加害者、被害者双方の過失の態様その他本件に現われた一切の事情を考慮して原告精に対する慰藉料は金二〇万円、原告令子、同正一、同信彦に対する慰藉料は各金一〇万円と定める。

七、損害の補填

原告精が正信の死亡により労働者災害補償保険法による遺族補償費一〇〇万円の給付を受け、又被告から金一五万円の見舞金を受領したことは原告らの自認するところである。

そして、原告らは右遺族補償費一〇〇万円を原告精の前記損害に充当した旨主張するが、もともと遺族補償費は、その法律上の性質に照らし、財産上の損害賠償請求権の補填のみに充てられるべき筋合のものであつて、慰藉料請求権の補填には及ばないと解すべきであるから、原告らの右主張も右の趣旨にみるべきであり、従つて右一〇〇万円は原告精が相続により取得した前記財産上の損害賠償請求権二〇万円にのみ充てられたというべきである。(遺族補償費の性質及び財産上の損害額をこえる遺族補償費については、昭和三七年四月二六日最高裁判所第一小法廷判決参照。)そうすると、原告精の前記財産上の損害はすべて補填されたことになる。

次に、前記見舞金一五万円は原告精の損害に充当したことは原告らの自認するところであるから、これを原告精の前記慰藉料二〇万円から控除すると、同原告の慰藉料は金五万円となる。

八、むすび

よつて、原告らの請求中、被告に対して、原告精が前記慰藉料金五万円、原告令子、同正一、同信彦が前記相続による各金一三万三、三三三円及び前記慰藉料各金一〇万円の合計各金二三万三、三三三円及びこれらに対する本件事故発生の日である昭和三八年一一月二九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当であるからこれを認容し、その余の部分はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条本文第九三条第一項本文、仮執行及びその免脱の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中池利男 山口茂一 川上孝子)

別表

〈省略〉

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